■GRAIN
存在が発表される以前はステルス機はレーダーに映らないと言われていて、電波を特定の方向に反射するのではなくさまざまな方向に乱反射させて、レーダーに写らない程度に弱めるものと想像されていた。
しかし、実際は電波を特定方向にのみ反射する事により探知方向を制限させるという、予想とは全く逆の方式を用いていた。つまりレーダーに全く映らないのではなく、偶然にも特定方向に反射したレーダー波がキャッチされてしまう事もありえる。しかしそれはごく短時間で終わってしまい、レーダー上に反映される機影は飛行機と判別されないほど全く異なったものとなってしまう。この関係からレーダー上での機影は数あるアメリカ空軍の機密の中でも最重要軍事機密となっている。これはF-117に限った事ではなく、B-2やF-22などの他のステルス機についても同様である。
また特定方向以外に反射されるレーダー波も皆無という訳ではなく、極めて微弱でRCSが極端に小さいというだけである。そのため湾岸戦争時には単機で侵入したF-117も、ユーゴスラビア介入の際には旧ソ連製の濃密な防空システムをかいくぐるためにEA-6Bの電子戦支援を受けていたといわれる。
自機のレーダーがないため単独では周辺の他機の飛行が全くわからない。平時にこのまま飛行すれば友軍機や民間航空機等もF-117のステルス特性のためにお互いがレーダーで見えないので非常に危険である。このため基地から基地へのフェリー時など非戦闘行動時には、レーダー・リフレクターと呼ばれる突起を胴体側面に取り付けレーダーへの反射を確保する。
過去に「レーダーに映らないはずのF-117が立派にレーダーに映ってしまっていた」と報道され、F-117のステルス性に疑問を投じられたことがあるが、これは誤解であり最低限の安全が確保されている証拠である。
エンジン排気口は機密とされ従来は後方からの撮影が禁止されていたが、2008年現在では一般雑誌等でも見ることが出来る。排気口は押しつぶされたように極端に横方向へ押し広げられており、これに加えて排気口の真下にスペースシャトルの耐熱タイルと似た特性を持つ吸熱タイルを配置して排気温度を下げる工夫がされている[2]。
レーダー探知を極力避けるために非金属素材が多用されていると言われ、コソボ紛争で撃墜された機体片の写真では木材が使われているのが確認できる。
F-117の直線的デザインは今までの航空機には無いものであり、各方面に大きな衝撃を与えた。そのため一時期は、この独特な形状はステルス設計に必須のものであると解釈された事もある。ただし上記でも述べた通り、これは当時の設計用コンピューターの能力による限界のため、このような単純な設計でしかレーダー波の反射のシミュレーションができなかったからである。B-2爆撃機の設計時には技術も進歩し、曲面でのシミュレーションを可能にしている。
ただし、B-2の
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は、同時に整備コストが大きくなるという問題を生じた(当然の事だが、表面形状を維持するための整備は、直線よりも曲面のほうが遥かに困難になる)。ちなみに艦船におけるステルス設計では、空気抵抗を考慮しなくともよいので、未だに直線的デザインのものが多い。
存在こそ確認されていなかったが、F-117の存在は1980年代半ばには公然の秘密となっていたため、各軍事関係書籍などでは「F-19」と仮定されたステルス機の想像図が数種類発表されていた。共通していたのは、機体の各部が曲線で構成されており垂直尾翼が内側に向いているなど、同じロッキード製軍用機であるSR-71を小型化したようなデザインであった。
「F-19」という名が一人歩きを始めた原因の一つが、イタリアにあるプラモデルメーカーのイタレリが1987年に製作・販売した同名のプラスチックキットがあった。このキットは、「アメリカの開発した極秘のステルス機を独自の情報源により再現した」とうたわれていた。また、当時漏れ伝えられていたステルス技術を反映して、「ミサイル等は機体内に搭載する」、「機体は曲線で構成され、二枚の垂直尾翼は内側に傾斜している」といった形状をしていた。 上記のようなステルス戦闘機に対する関心や憶測、マスコミなどが持てはやしクリスマス商戦の目玉商品となったことから、ベストセラーとなった。
このキットについて国防総省のスポークスマンに記者が
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を求めたが、「ある程度の航空機についての知識を有する者ならば、この程度の形状は想像し得るだろう」という肯定も否定もしない返答であった。この「否定」されない返答が、このキットの売り上げ増に拍車をかけたとも言われている。F-117の開発を行っていた時期にスカンクワークスの責任者だったベン・リッチは引退後、自著の中で「このインチキ戦闘機と社内の内紛のせいで、ロッキード社の機密保持に問題があるとしたアメリカ議会の公聴会に呼び出されそうになった(本人の出席は免れたが、当時のロッキード社の社長が出席している)」と記載している。
M1エイブラムスは、M60パットンの後継として1970年代に西ドイツと共同開発を進めていたMBT-70計画の頓挫により、新たにアメリカ単独で開発し、1980年に制式採用された戦後第3世代の主力戦車である。主に、アメリカ陸軍及びアメリカ海兵隊が採用した。
特徴として、当時主流であったディーゼルエンジンではなく、ガスタービンエンジンを採用している点が挙げられる。また、当時としては最先端機器を用いた高度な射撃管制装置(FCS)を採用した事で、高い命中率を誇る。主砲は西側第2世代戦車の標準装備と言える51口径105mmライフル砲M68A1を採用した。
M1は従来のアメリカ戦車と同様に発展余裕に富んだ設計で、制式化後も度重なる改良が施された事も特筆すべき点である。現在では120mm滑腔砲を搭載したM1A1や、第3・5世代主力戦車に分類されるM1A2が運用されている。
湾岸戦争やイラク戦争といった実戦を経験し、現在では世界最高水準の戦車であると世界的に評価されている。
1970年代初頭、アメリカ陸軍はM60の後継種を必要としていた。M60は戦後第2世代戦車であり、近代化を図った「M60A2」を保有していたものの、やはり第2世代戦車の域を出ないものであった[1]。また、ソビエト連邦が115mm滑腔砲を有するT-62の配備を進めていることが確認された事で、質・量共に劣勢にあると強い危機感を抱いた。
当初はベトナム戦争での敗北やそれに伴う戦費、MBT-70計画の頓挫からアメリカ議会は予算の承認を渋る声も聞かれたが、1973年1月に新型戦車の要求仕様が決定し、同年6月にクライスラー社(当時)とゼネラルモーターズに試作車の発注が行われた。
3年後の1976年に試作車「XM815」が完成[2]し、アメリカ陸軍による試験評価が行われた。時を同じくして第4次中東戦争が勃発し、RPG-7や対戦車ミサイルが使用され、通常装甲のイスラエル戦車が多数撃破された事を受けて、チョバム・アーマーや複合装甲の研究も並行して進められた。
1976年に比較検討の結果、クライスラー社の試作車に開発を一本化させる事が決定され、名称を「XM1」と改める。同時に試作車11両が追加発注され、1978年中に全車が完成し各種運用試験が行われた。また、翌年の1979年には先行量産車110両が発注・製作され、各部隊での最終試験がなされた。そして1981年に「M1エイブラムズ」として制式採用された。M1では対地雷鋤や対地雷ローラーが取り付けられるようになっていた。
射撃を行うアメリカ海兵隊のM1A1
車体後方より(M1A1)
砲塔側面から後方にかけて大型のラックが取り囲むM1はその開発当初から120mm砲の搭載を前提として開発されていた。だが、制式化を急ぐあまり120mm砲の開発が間に合わなかったため、初期型のM1及びM1の装甲改良型であるM1IP(IPM1)は、主砲にM60と同じ51口径105mmライフル砲M68A1を装備した。しかし、高度な電子機器で構成された射撃管制装置によって、第2世代戦車より高い射撃能力を有していた。
1985年から火力強化版のM1A1が導入され、この型から主砲をドイツのラインメタル社製44口径120mm滑腔砲をライセンス生産したM256を装備し、APFSDSには劣化ウランを使用している。初弾命中率は90%と言われている。
機関銃
砲塔上には車長が車内から遠隔操作できる銃架を設置し12.7mm重機関銃M2を据え付けている。装填手用には盾で防護された暗視照準機付きの7.62mm機関銃を装備するなど近接戦闘時の生存性向上を図っている。
主砲と同軸で砲塔正面右側に7.62mm M240 機関銃が装備されている。
車外戦闘の場合を考慮して砲塔内にM16かM4カービンが1丁備わっている。乗員は個人銃器としてM 9 ベレッタが配給されている。
M1の砲塔前面装甲は避弾経始を考慮しているものの、それまでの第2世代主力戦車に見られた流線型の砲塔ではなく、傾斜を施した平面で構成されていた。
装甲材は、M1が対HEAT対応の空間装甲、M1A1が対鉄弾芯APFSDS対応の無拘束セラミック、M1A1(HA)/M1A2が対タングステン/劣化ウラン弾芯APFSDS対応の劣化ウランプレートと徐々に強化向上されている。(M1A2戦車の全周の装甲防御能力の推定)