■HEADGE

1978年にレーザー測遠器を装備し始めるも高価だったため、1985年までは指揮官用のT-72Kを中心にしか普及しなかったが、それ以降に生産されたT-72AVではエンジンの馬力も780hpから840hpに強化、リアクティブアーマーやレーザー測遠器も生産当初から標準装備となり、主砲から対戦車ミサイルも発射可能となった。これによりT-64の後継であるT-80に、機能的に近くなるアップデートが施されたといえる。 以降も細かい改修が施されるも、1980年代末のワルシャワ条約機構下諸国の経済悪化や、ソ連自身の1991年の崩壊などにより一時その発展は停滞期を迎える。 ソ連崩壊以降は独立した諸国がそれぞれのT-72の生産技術を元に数多くのバリエーションを開発している。自国で生産したオリジナルタイプの輸出から既にT-72を購入した国への改修パッケージキットの販売など、その販売形態も広がっている。T-72自体が長期に渡り多くの国々に供給されたこともあり、ソ連から独立した諸国にとっては現在でも魅力的な軍事マーケットとなっている。 生産当初のT-72は41tと西側諸国の主力戦車と比べて非常に軽量であった。当時のワルシャワ条約機構下ではこの重さを基準に道路や橋を設計したと言われており、自軍の戦車が進行するには有利かつ、他国の戦車の侵攻を阻む地形になっていた。 重量が軽かった為、わずか780hpの馬力にもかかわらず、ドイツのアウトバーンではガバナーを解除することで110km/hの路上最大速度を記録したと言われる。 砲塔の部分は鋳造製で、最も厚い部分で280mmであったとされ、先端部で80mmの装甲が施されていた。後にT-72B(M)から車体の前面部に当時では珍しかった膨らみのある複合装甲が取り付けられた。西側では、この独特の「膨らみ」は女性の豊満なバストをイメージさせた事から当時グラマーで有名な女性歌手ドリー・パートンの愛称で呼ばれた。車体自体の前面部は鋼鉄装甲板にセラミックやガラス繊維などを織り込まれその厚さは200mm程度だが、くりっく365 の傾斜デザイン(避弾経始)によりその効果は実質500mm〜600mm圧の圧延装甲板に匹敵する強度を実現した。それ以降も防御力を増すため、前述のように成形炸薬弾(HEAT)に対し有効な爆発反応装甲が追加装備されている。当初はキャタピラーを守るためのサイドスカートが分割式の金属製であったが、後にゴム製に変更された。 125mm2A46滑腔砲は、西側の120mm/L44滑腔砲と比較し遜色ない威力とされ、有効射程距離は1800〜2000m。戦車砲弾以外にも射程5000mの9M119または9K120対戦車ミサイルを発射可能であり、ガン・ランチャーとしての機能を持つ。(しかし、一発500万円ほどする為、ほとんど発射された記録はない。) また、回転装填式自動装填装置「カセトカ」を搭載。T-64では垂直方向に装填するタイプだったが、T-72では回転ドラム式の水平装填式となった。当初は装填不良など信頼性に問題があったものの、改修型のT-90においては13秒間に3発もの砲弾を発射できるまでに改善されている。しかし、この装置のために車内の居住性は相変わらず悪いものとなった。 T-64のエンジン、及び足回りの問題が発端で開発が始まった事もあり、ディーゼルエンジンは信頼性が高い第二次世界大戦時のBT-7MやT-34のV-2、それをT-44で横置き式に改良したV-44を500hpから780hpに引き上げ、オブイェークト172ではV-45、T-72ではV-46を採用している。ソ連崩壊以降の各国のT-72のバリエーションタイプではそれぞれ独自のエンジンを採用しているため、馬力やシステムは各々異なっている。 専用のシュノーケルをつければ渡河などの潜水移動も可能だが、搭乗員は潜水装備をつけなければならない。また、潜水時にエンジンが停止した場合は6秒以内に再始動しないと大惨事を招きかねない。 NBC対策として砲塔部にはホウ素樹脂が組み込まれており車体にも空気浄化システムや加圧機能を搭載している。 T-72の最初の実戦投入は、1979年のソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻と考えられるが、ムジャーヒディーン相手のゲリラ戦であったため戦車同士の交戦の機会は全くと言ってよいほど無く、アフガニスタン政府軍に供与されていなかった(アフガニスタン政府軍にはT-55とT-62を供与していた)のでソ連撤退後のアフガニスタン内戦で使用されることもなかった。 西側の主力戦車(MBT)と戦火を交えたのは、1980年に勃発したイラン・イラク戦争においてソ連製戦車を中心とするイラク軍のT-72がチーフテンなどを装備するイラン軍と交戦したのが最初である(デズフールの戦い)。しかし、具体的戦果がはっきりとわかっていないため、あまり注目はされていない。 T-72の戦闘が初めて世界の注目を集めたのは1982年にイスラエルがレバノンへ侵攻した(イスラエル作戦名「ガリラヤの平和」)際にシリアのT-72がメルカバMk.1と交戦した時である。当時のメルカバMk.1の主砲は一世代前とされるL7 105mm戦車砲であったが、イスラエルが独自に開発した完全タングステン合金弾芯のAPFSDSの性能やイスラエル軍とシリア軍の戦車兵の錬度の差、シリアのT-72がオリジナルより性能を意図的に劣化させたモンキーモデルであったことなどが原因でT-72はメルカバに遠距離からほぼ一方的に撃破されるという惨憺たる結果であり、後のイラクにおける惨劇の序章とも言える出来事であった。 イラク軍のT-721991年と2003年、二度にわたりT-72は西側の第3世代戦車である、M1エイブラムス、チャレンジャー戦車と激突した。アメリカ軍を中心とした多国籍軍の戦車は貫通力の高い劣化ウラン弾を採用した強力な砲弾と、同じく劣化ウランを織り込んだ防御力の高い装甲、夜間でも確実に標的を捕らえる事のできる射撃統制装置など最先端の装備で臨んだのに比べ、イラク軍のT-72は輸出向けにスペックダウンされたモンキーモデルで対抗しなければならなかった。本来複合装甲が施されている部分に普通の圧延鋼板溶接装甲が使用されていたり、徹甲弾もタングステン芯ではなく鋼鉄のものが使用されたと言われている。このためM-1エイブラムスの砲塔に直撃弾を与えたにもかかわらず、全くダメージを与える事ができなかったケースもあった。 またイラクが行った改良はFX 検知器を加えた程度であった為、多国籍軍側戦車との性能差は明らかであり、T-72は一方的に撃破された。しかもT-72は砲塔下部に砲弾を収納する設計になっていたため、貫通した砲弾によりたやすく誘爆を招き搭乗員全ての命を奪う事となった。直撃を受けたT-72の砲塔が高々と吹き飛ぶ様を見てアメリカ軍の戦車兵達は「ジャック・イン・ザ・ボックス」(「びっくり箱」)と呼んでいた。なお、この欠点はモンキーモデル以外のT-72にも共通したもので、チェチェン紛争ではロシア軍のT-72B(M)なども同様の破壊を受けている。 湾岸戦争での戦車戦の記録映像が世界中に流された事もあり、T-72の兵器としての商品価値は一気に下落した。T-72の全面改修タイプであるT-90はこの失墜したロシア製兵器のブランドイメージ回復を目的に開発されたと言われる。 解放タワー(かいほうタワー、Liberation Tower)は、クウェートで最も高い建造物である。1990年8月2日のイラクによるクウェート侵攻(湾岸戦争)よりも前から建築が始まっていて、「クウェート・テレコミュニケーションズ・タワー」と名付けられることになっていた。 イラクの侵攻により、建築が途中で中断されることになった。しかし、建物には損害は無く、1991年2月27日にフセインの軍隊が撤退した後、建築が再開された。1996年に完成すると、イラクからのクウェート解放を記念して、解放タワーに名前が変更された。 タワーには、回転レストランと展望台(下にある円盤状の構造物。現在は保安上の理由で公開されていない)があり、無線などの通信施設も収められている。最頂部までの高さは372メートル(1,220フィート)で、下から2番目の構造物の屋根は高さが308メートル(1,010フィート)である。